- 公開:1996/04/03
- 監督:グレゴリー・ホブリット
- 出演者:リチャード・ギア, ローラ・リニー, エドワード・ノートン
- 製作国:アメリカ合衆国
- 上映時間:2時間10分
真実の行方という映画をご存じでしょうか?リチャード・ギア主演で1996年に公開されたこの映画はリーガル・サスペンス(法廷もの)というジャンルに属する映画です。
この映画はなんと言っても、映画デビューにも関わらずアカデミー助演男優賞にノミネートされたり、ゴールデングローブ賞映画部門助演男優賞を受賞したエドワード・ノートンの存在でしょう。
エドワード・ノートン演じる、教会で手伝いをする青年が大司教殺害の罪に問われ、リチャード・ギア演じる弁護士が無罪のために闘うという流れではあるんですが、このノートンがもうすごい。
一人二役を演じる形にはなっているんですが、え!?マジで同一人物!?って思えるぐらいの
そして結末のどんでん返しや伏線がヤバい。ネタバレを見る前にぜひ一度観て鳥肌を立ててください。
という事で、映画『真実の行方』についてレビューしていくことにしましょう。
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映画『真実の行方』 – ストーリー
公開日:1996年04月03日
ジャンル:犯罪映画, ヒューマンドラマ映画, ミステリー映画
監督:グレゴリー・ホブリット
出演:リチャード・ギア, ローラ・リニー, エドワード・ノートン
ネタバレ注意『真実の行方』のあらすじまとめ
「有罪だとわかっている依頼人を担当する場合には?」というインタビューに対し、
「有罪か無罪かなんて一切関係ない。被告人がどんな人間で何をしでかしたとしても最善の弁護を受ける権利が保障される」と答える元検事で現在は弁護士をやっているマーティン・ベイル。
「真実はどうなるんです?」
「真実は俺が決める。俺が法廷で12人の陪審員の頭の中に生み出すんだ。つまり真実の幻影だ」
自由奔放な彼はテレビのトップニュースで取り上げられたり、雑誌のトップ記事に取り上げられることに目がない。
そんな彼が住むシカゴで大司教殺しの大事件が起こった。逮捕されたのは大司教の元で教会のミサを手伝っていたアーロンという青年。このニュースは大事になるぞと目をつけたマーティンはすぐさまアーロンに接触を試み、弁護人の権利を手に入れた。
早速アーロンと話をするとどうにも彼がやったとは思えない。彼は情けなく笑い、しおらしい態度を取る。彼が言うには、大司教は父親同然の存在であり、殺しの現場にはもう一人いた。自分は記憶が飛んでしまい詳しくは覚えていない、という。
マーティンは、「裁判中は話すな、君がやる仕事は無実に見せることだけだ。しゃべるのは俺だ」とアドバイスした。そして最初の裁判が行われる。
対戦相手の検事は昔、自分の部下であり恋人でもあった、ベナブル検事。彼女はアーロンを第一級殺人罪で告訴した。負ければ死刑。しかし、マーティンは作戦通り、黙秘権を行使し、時間を稼いだ。裁判は休廷。その間に精神分析医のアーリントン先生を呼び、アーロンの失われた記憶を取り戻すことをお願いする。
時間稼ぎをしている間、マーティンは殺された大司教の周りを探ることにした。わかったことは、大司教は川岸の宅地開発を中止にした人物でそのことで多くの投資家から恨まれていたこと。その投資家の中にはベナブル検事の上司であるショーネシー州検事も絡んでいるという。
マーティンがその線で第三者の存在を立証しようとしたが、ショーネシーは「街の有力者達を敵に回すとろくなことにならんぞ」と圧力をかけてきた。マーティンの狙いは当たっているのかもしれない。しかし、大事な証人は後に水死体として発見された。
一方、精神分析をお願いされたアーリントン先生は、ビデオカメラを撮りながらアーロンと面談を始める。そこでわかったことは、アーロンにはリンダという彼女がいたこと。父親から幼少期に虐待を受けていたこと。リンダのことを詳しく聞こうとするとアーロンは言いあぐね、頭を抱えた。
その瞬間、人格が変わり凶暴なアーロンが現れた。彼の名前はロイ。なんと、アーロンは多重人格者だったのだ。大司教の殺害は有力者がらみの犯罪だと思っていたマーティンの読みは全く外れてしまった。なぜなら、ロイがマーティンに自分が大司教を殺害したと告白したからだ。第三者の存在を立証しようとしていたマーティンの目論見は完全にダメになってしまう。
争点を精神異常に切り換えることはできないため、マーティンは手のうちようがなくなってしまった。しかし、マーティンには最後の手段、ビデオテープがあった。アーロンとリンダ、そしてアーロンの友人のアレックスは大司教に性的虐待を受けていた。それを記録したビデオテープをベナブル検事のもとへ送りつけると、ベナブル検事はマーティンの予想通り、それを裁判の証拠品として裁判所に提出した。
そのことで、大司教の裏の顔が市民に明かされることになる。最終公判でマーティンはわざとベナブル検事にアーロンを追い込ませ、ロイの存在を裁判中に知らしめた。裁判は中止され、アーロンは精神異常者として病院に収容されることになった。
結果的に、死刑を免れ、罪を問われないようになったため、マーティンは無罪を勝ち取ったことになる。
それを報告しにマーティンは落ち着いたアーロンの元へ行き、無罪を告げると、アーロンは衝撃の告白をマーティンにするのであった…。
『真実の行方』の名言
ギャンブルは命のギャンブルの方が一番。
罪が証明されるまで人は無罪
犯罪は悪人が犯すものとは限らない
『真実の行方』のおすすめポイント
アーロン、ロイ役のエドワード・ノートンの演技と、リチャード・ギアのラストの顔が絶品。
グイグイ引っ張られるストーリー。観ていて飽きない。
本当にエドワード・ノートンの演技がすごい
この映画は多重人格者の話なわけですが、その使い分けをする役者エドワード・ノートンの演技力が本当にすごい。しかも、この作品が映画デビューとは…。
リチャード・ギアの存在感が薄れてしまうぐらい、アーロンとロイの存在感はすごかった。しかも最後の最後でどんでん返しを食らって唖然とした状態で、エンディングロールを観ていました。
今まで、どんでん返し系の映画といえば、『ユージュアル・サスペクツ』とか『アフタースクール』とか『スティング』とか、いろいろ観てきたけど、このラストはあっぱれでした。
このラストを観るだけでも充分にこの映画を観る価値はあると思いますよ。
映画『真実の行方』 – まとめ
コレは僕が最近観た映画の中では一番のヒット作かもしれない。それぐらい面白いと思います。1996年なので、ちょっと昔の映画かもしれないですが、文句なしに古さを感じず面白いと思います。
そして、この映画を観るとエドワード・ノートンのファンになると思います。
彼の違う作品も見てみよう。
あ、ちなみにこの映画のグレゴリー・ホブリット監督は、僕が映画で一番好きな作品『オーロラの彼方へ』を撮った監督でもありまして、『真実の行方』とのギャップがすごくて驚きました。
ではでは、『真実の行方』でした。
よかったら見てみてくださいませ。
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真実の行方 - 感想・評価
公開日:1996年04月03日
ジャンル:犯罪映画, ヒューマンドラマ映画, ミステリー映画
監督:グレゴリー・ホブリット
出演:リチャード・ギア, ローラ・リニー, エドワード・ノートン