- 公開:1971/12/19
- 監督:スタンリー・キューブリック
- 出演者:マルコム・マクダウェル, パトリック・マギー, マイケル・ベイツ
- 製作国:イギリス, アメリカ合衆国
- 上映時間:2時間17分
時計じかけのオレンジという映画をご存知でしょうか?アンソニー・バージェスの原作小説を1972年にスタンリー・キューブリック監督が映画化した作品です。
原作小説も読みましたし、この映画も3回は観ました。
それだけ聞くと「この作品がすごい好きなんだな〜」って思いますよね。でも、逆なんです。何度触れても、この物語には全く共感出来ないのです。
なぜそんなことになっているのか。映画『時計じかけのオレンジ』のレビューをしていくことにしましょう。
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『時計じかけのオレンジ』について
公開日:1971年12月19日
ジャンル:犯罪映画, SF映画
監督:スタンリー・キューブリック
出演:マルコム・マクダウェル, パトリック・マギー, マイケル・ベイツ
冒頭にも書いた通り、時計じかけのオレンジは原作の完全版を読んだことあります。
道徳心が邪魔をする。作品の評価も読んでみたけれど、この作品が素晴らしいものだという感情がどこにも湧いてこないのは僕が未熟だからでしょうか。
時計じかけのオレンジ。確か原作を読んだのは24歳ぐらいだった気がします。
そのころに書いた読書感想文みたいなものをここに引用してみる事にしましょう。
文体は「ライ麦畑でつかまえて」によく似ていた。しかし、大きく違うのはストーリー構成だ。3つからなる舞台の入れ替わりによってこちらは比較的スムーズに読めた。ただやはり主人公には共感ができない。尾崎豊のようでまるで違う若者の反逆だ。それは被害者の描写があったからかもしれない。
実際、15の夜でさえ盗まれたバイクの持ち主の事をイメージしたら共感出来なかっただろう。 人は罪を償ったからといってすべてに許されるわけではない。ただ、加害者としてはこれだけ償ったからもういいじゃないかという気持ちにはなるんだろう。
それは加害者がいつまでも加害者だからだ。きっと被害者の気持ちを理解しろと言っても加害者側から見た被害者でしかない。想像力の欠乏。この小説はあくまでもジャイアンの読み物であって、きっとのび太が読んでも嫌悪感しか生まれないだろう。
…こんな感じの読書感想文でした。
もちろん作品というのは表現の自由に保障され、どんなものを作ってもいいのだし、それを作り物だとわかって受け取り手は受け取る。そして、そこから見出される作成者のメッセージが強烈に伝わってきたかどうかで評価すべきだと思います。
…ですが、実際、僕はそんなに出来た受け取り手ではないのです。
この作品を作った人からのメッセージを上手く受け取れず、この作品を現実にあったらどうだろうと考えてしまい、こんなことは許されることではない。だからこの作品はダメなものだ。という評価をしてしまいます。
映画『時計じかけのオレンジ』 – あらすじ
ネタバレも含むのであしからず。
暴力が繁栄し、若者が独特な言葉を使う未来が舞台。若気の至りでは納得が出来ないぐらいの残虐な日々をすごしていた主人公をリーダーとするグループ。家に押しかけその家の奥さんを主人の目の前で強姦し、金品を奪って去るというような生活をしていた。
そのグループ内で仲間割れみたいな事が起こる。主人公はそれを暴力でねじ伏せる。その同じ日。同じように家に強盗に入り、家の住人を殺してしまう。警察が近くまで来ている事を察した主人公はその場を逃げようとするが、仲間割れをした仲間たちに邪魔され、警察に捕まる。
主人公は殺人の罪で14年の獄中生活を送ることになるのだが、2年が経とうとしたある日、ルドヴィコ療法というものの被験者になるかわりに釈放されるという契約を結ぶ。
そのルドヴィコ療法というのは実に単純な治療で薬を体に注入し、暴力的なものや性的なものであふれた映画を観させるというもの。最初は映画のシーンに興奮すら覚えていた主人公はやがて同じシーンに嫌悪感を示すようになり、吐き気を催すようになる。さらには映像と一緒に使われていた音楽がたまたま大好きだったベートーベンの第九だったのだがそれでさえ聴くごとに吐き気に襲われてしまう。
つまりは洗脳なんだけれど、暴力的なもの性的なものが目の前に現れるだけで嘔吐感に見舞われ、更生せざるを得ないという機械的な体になってしまった。それがこの作品のタイトルでいう「時計じかけのオレンジ」になったという事らしい。
以上の処置を受けて釈放された主人公は、実家に戻ってみるとそこには知らない若者と両親がいた。どうやら主人公の部屋はこの若者に貸し出されているようで、どうにも居場所がない。
家に居場所がなくなった主人公は自分ひとりで生きていくことを考えなければならないとたそがれている時に、ホームレスにお金をせがまれる。お金を手渡している途中、そのホームレスの顔が見る見るうちに怒りの顔に変わっていく。それは昔、主人公グループにボコボコにされたホームレスだった。
ホームレスは仲間を呼び主人公をボコボコにする。反抗しようにも暴力的な行動をしようとすると嘔吐感に見舞われる主人公はその嘔吐感よりはいいやと諦めていた頃、その騒ぎを見つけた警察官によってホームレスは散っていく。
その警官の顔を見ると、昔、力で黙らせたグループの2人だった。その2人の警官は主人公が暴力などをふるう事が出来ない事を知っており、過去の復讐をするため、主人公をボコボコにする。
雨に打たれ、ボロボロになった主人公は行くあてもなくさまよっているとある家を見つけて助けを求める。そこは奇しくも昔、主人の前で妻を犯したことのある強盗に入った家だった。
主人公は家の中に入って初めてそのことに気が付くのだが、あの時は仮面をつけていたのだからバレないだろうと言われた通りにお風呂でくつろぐ。
安心した主人公は雨に唄えばを鼻歌で奏でたがその歌を聴いたその家の主人は昔、強盗に入られた時に犯人が同じ歌を口ずさんでいたことを思い出し、同一人物だという事を理解する。
強姦されたことにより、自殺してしまった妻の復讐をする為に主人公に薬を盛り、部屋に幽閉する。目が覚めた主人公は激しい嘔吐感に襲われる。その理由はルドヴィコ療法を処されていた時に流れていたベートーベンの第九を大音量で流されていたからだった。
辞めろといっても家の主人は復讐の為に音楽を辞めることはなく、いよいよ頭がおかしくなりそうになった主人公は自殺したほうが一瞬の苦しみだと部屋の窓から飛び降りる。
しかし、その自殺は失敗に終わり病院で目が覚める。この主人公の自殺はルドヴィコ療法の非難につながり、元の体に戻された主人公は暴力的な言葉にも性的なものにも嘔吐感に襲われることがなくなった。
その顔は元の悪かった頃の顔に戻っていた。
おしまい。
そんな感じのストーリーです。この映画はR指定なのでセックスシーンとか沢山出てきて暴力的な行為もたくさん出てきます。この作品の影響力はかなり大きかったようで、公開当時はこの映画に影響を受けた若者が大統領暗殺計画などを企てて逮捕者が出たぐらいだそうです。
映画『時計じかけのオレンジ』 – まとめ
作者は違ったメッセージをこめて風刺的に作品を作ったとは思うんですが、その風刺を通せずにそのままのメッセージを受け取ってしまった結果でしょう。
別に駄作だとは思わないし、カメラの使い方とか音楽の使い方とか、演技とかそういうのを評価しないといけないのかもしれないけれど、それ以上にストーリーが受け付けない作品です。
この物語から一体何を受け取れば正解なんだ…。
僕はいまだにそれがわかりません。
小説、映画、両方とも受け入れられなかった作品でした。ま、逆に言えばそれだけメッセージ性の強い作品なのかもしれないですけどね。嫌いなものは気になるものですから。
ではでは、『時計じかけのオレンジ』でした。
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時計じかけのオレンジ - 感想・評価
公開日:1971年12月19日
ジャンル:犯罪映画, SF映画
監督:スタンリー・キューブリック
出演:マルコム・マクダウェル, パトリック・マギー, マイケル・ベイツ