カッコーの巣の上でという映画をご存じでしょうか?1975年にジャック・ニコルソン主演で公開されたアメリカ映画なのですが、いたるところで名作だといわれている作品です。
映画史に残る演技ベスト200というのをイギリスの雑誌が発表したのですが、第1位がこの映画のジャック・ニコルソンの演技でした。
そんな映画を、友人に泣けると聞いて教えてもらったのですが、実は最初に見たときは期待しすぎて泣けず「過度な期待はしない方がいい」的な事をこのブログの記事に書いたことがありました。
ですが、やはり映画というものは時間が経ってから観るとまた別の感想を持ったりするもので、今回もう一度観てみると「過去の僕は一体、この映画の何を観ていたんだバカヤロウ」と思えるぐらいこの映画に対する受け取り方が変わっていたのです。
ということで、映画『カッコーの巣の上で』をレビューしていくことにしましょう。
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映画『カッコーの巣の上で』 – ストーリー
公開日:1975年11月19日
ジャンル:ヒューマンドラマ映画
監督:ミロス・フォアマン
出演:ジャック・ニコルソン, ルイーズ・フレッチャー, マイケル・ベリーマン
映画名作レビュー戦記シネマネオン!-カッコーの巣の上での巻-
館見放題
とある映画館でポスター貼りのアルバイトをしていた館見 放題(たちみ ゆきみつ)。「エセ関西弁を急に会話に入れる人って…」とつぶやきながら映画ランキングと興行収入を参考におすすめポスターを入れ替えていたが、その作業中、謎の組織ノーモアーズに襲われ記憶と顔を盗まれてしまう。何も思い出せない館見。彼は自分を取り戻すため、引き込まれるように映画館に入り『カッコーの巣の上で』を観ようとしたのだが…
カッコーの巣の上で -内容紹介-
カッコーの巣の上で -解説-
我慢してもクレージー。暴れてもクレージー。何が何だかさっぱり分からねえ。
批評を終えて
名言・心をざわつかせた言葉
我慢してもクレージー。暴れてもクレージー。何が何だかさっぱり分からねえ。
「役に立たん」「害にもならんさ」
でも努力はしたぜ。チャレンジした。
日に1万ワットの充電でビンビンだぜ
動画視聴で実況・解説!
- 0:05:45頃
あら?こんな時代からハイパーヨーヨーってあったのか! - 0:10:40頃
マルシアノなら40回戦って富豪になったって聞いて、誰?と思って調べたらロッキー・マルシアノっていう49戦49勝、全勝無敗で引退したすごいボクサーがいた事にビビる。…そしてセスナ機の墜落事故で亡くなった事を知り、やはり飛行機怖いってなった。負け無しのボクサーでも関係ないもんな。でも本当にすごいな。負けないボクサーなんているんだなぁ…。 - 0:11:50頃
労働逃れのフリだとって言われた時のジャック・ニコルソンのニヤリとした表情がなんとも言えぬ素晴らしさ。 - 0:12:50頃
え。何この運動。ラジオ体操って海外にもあるんだろうか?なんか猪熊貞治さんって人がラジオ体操を始めたのは知ってるんだけど。日本のラジオ体操には全く見られない運動の組み合わせで面白いな。脱獄する前のイメトレみたいな運動だなこれ。 - 0:19:00頃
ここまで騒がしくなっている状況なのに、なんの口も挟まない病院側に、なんで?って思ってしまう。導火線に火をつけたのはそっちなのに。その後の婦長の顔が印象的。 - 0:22:35頃
バンチーニの顔にさり気なくボールが当たっている!!地味に痛い。 - 0:27:00頃
話も通らず、薬の内容も教えてくれない、こんな病院、絶対に嫌だ。 - 0:31:20頃
婦長の勝ち誇った顔が…。ムキーッ!! - 0:32:55頃
本当に楽しそうな顔して笑うなー、ジャック・ニコルソン。 - 0:37:50頃
この婦長、なぜここまで詰問してくるんだ…。僕がこんな質問されたらパニックになるわ。これのどこが治療なんだ…。 - 0:42:50頃
このシーンいいなぁ。必死に訴えるジャック・ニコルソン。 - 0:44:45頃
すげぇ。本当に野球がアメリカの国技だってのがわかるわぁ。こんなに何も観ずにバーチャル実況出来るジャック・ニコルソン!。 - 0:50:00頃
おおお!!金網に有刺鉄線あるのに痛くないのか!しかもジャック・ニコルソンの運動神経バツグンじゃないか!すげー!! - 1:05:10頃
初めてこの婦長さんがいい人に見えた。仕事に対して真剣なだけなんだな。 - 1:07:55頃
バスケットボールに参加するチーフ、いいキャラ(笑) - 1:17:15頃
かっこいい、ジャック・ニコルソン。ガラスパンチ。それにしても本当にこの医療関係者はなんで騒動に対して鎮圧する能力がないんだ…。これで働いているといえるのか。 - 1:25:00頃
なんなんだよ、この仕打ち!!精神病患者には人権がないのかっ!! - 1:27:00頃
ジャック・ニコルソンのウィンクたまらんな。 - 1:48:00頃
ドアップでずっと画面が持つのってジャック・ニコルソンだからだよな。ほぼ画面が変わらずに1分以上続くのでエヴァンゲリオンのエレベーターの中を思い出した。 - 1:49:15頃
これほど完璧な朝チュンを観たことがない。やっちまった感すげーな。 - 1:58:50頃
この婦長、鬼だ。 - 2:01:20頃
あぁ…。その結果がこれだよ…。あぁ。最悪だ…。 - 2:02:23頃
この顔、絶対夢に出てくるわ。 - 2:06:55頃
ロボトミー手術が…。 - 2:09:50頃
この伏線回収は見事!!
カッコーの巣の上で – オチ・エンディング・ラストの感想・考察
ここから先はネタバレを含む場合がございます。まだこの作品を観ていないあなたはこのままページを閉じるか、覚悟の上でお読みください。
by シネマネオン
ここから
まずは、以前ここの記事に書いてあったあらすじ紹介を引用したいと思います。
マクマーフィーは刑務所行きを免れるため、症状を偽り、精神病院に入院してきた。毎日決められた薬を飲まなければならないのだが、それを飲んだフリをしてごまかし、婦長の決めたルールに反抗的な態度をとっていく。
グループセラピーなど意味がない。たまにはワールドシリーズの野球観戦をさせてくれなど意見を出し、多数決をほかの患者から求めたりするが、最初はほかの患者は賛同しなかった。
マクマーフィーは耳の聞こえないインディアンのチーフにかまい、一緒にバスケットボールをさせたり、みんなとタバコをかけてトランプ賭博をしたりして、徐々にほかの患者と仲良くなっていく。
マクマーフィーは自分達で行動しないほかの患者に苛立ち、目の前で持ち上がりそうもない、水飲み台を持ち上げようとする。みんなは無理だと決めかねていたが、マクマーフィーは必死になって持ち上げようとし、チャレンジしないやつらに鉄槌をかました。努力はしたぜ。と。
その姿を見ていた彼らは徐々にマクマーフィーの味方をするようになる。
マクマーフィーは看守からバスを奪い、彼らをつれて外の世界へ逃げ出す。そして、船を借り、女を連れ一緒に釣りに向かった。彼らは今までにない楽しさに触れ、自分で行動することを楽しんでいく。しかし、こうしたマクマーフィーの行動は管理主義的な婦長の逆鱗に触れ、マクマーフィーは病院から出られなくなってしまう。
何日間拘束されても婦長の意向しだいでここを出ることが出来ないことがわかったマクマーフィーは失望し、婦長に物言いをするが、その意見の途中、ほかの患者が暴れてしまいその患者を止めようとしたマクマーフィーも一緒におしおきを受けなければならなくなった。
電気けいれん療法の順番を待っている際、しゃべることが出来ないはずのインディアン、チーフと一緒に順番を待っていたが、実は彼が話すことが出来ることがわかり、マクマーフィーは一緒に脱走をしないかと提案をする。
しかし、いざ脱出をしようと持ちかけると、自分はマクマーフィーのように大きな人間ではないとその誘いを断る。
クリスマスの日。マクマーフィーは女を連れ込み、酒を持ち込ませ、ドンちゃん騒ぎをした。コレでこの病院ともおさらばだと最後の宴を楽しんでいたマクマーフィーだったが、患者の一人であるビリーがマクマーフィーが連れ込んだ女の一人を好いていることに気が付き、マクマーフィーは別れの挨拶だと、女をビリーにあてがってやる。
その行為を待っている最中、マクマーフィーは不覚にも眠ってしまい、気が付けば朝。脱走の計画は無駄になってしまった。
翌朝、ドンちゃん騒ぎをしていたことが婦長にばれてしまい、女性とベッドで裸で寝ていたビリーは婦長に激しく糾弾され、母親につげ口をしなければならないと脅される。
そのことに非常にショックを受けたビリーは看護婦の目を盗んで刃物で自分を傷つけ自殺してしまう。マクマーフィーはビリーを人一倍可愛がっていたこともあり、激昂し、婦長の首を絞める。
もう少しで絞め殺すまで行ったマクマーフィーだったが、途中で看守の邪魔が入り、別の患者と隔離されてしまった。
チーフはその一連を見て、この場所を逃げ出す覚悟を決めてマクマーフィーが元に戻ってくるのを待っていたが、戻ってきたマクマーフィーはロボトミー手術を受けさせられ、もはや廃人同然の形となってしまっていた。
チーフは悲しみ、このままここに残しては置けないと、廃人になってしまったマクマーフィーを窒息死させ、マクマーフィーが以前持ち上げようとしていた水飲み台を持ち上げ、窓を破壊し、精神病院を脱走する。
…とまぁ、こんな感じのあらすじなわけですが、正直な所、観ていて非常に心が痛くなりました。ここから僕の実体験を踏まえて話をしていきます。
僕自身、統合失調症で入院をした事がありますが、確かに病院の中の雰囲気はこんな感じです。窓の外には鉄格子がありましたし、実際にベッドに縛り付けられて身動きがとれないようにされていましたし、指示された事以外の事は出来ません。
マクマーフィーがその状況を見て、自由を得るために反抗するというのが今回の映画ですが、単純にマクマーフィーが正義で病院側が悪というわけにもいきません。どちらにも正義があります。
病院側はその当時の感覚で、こういう治療法がいいと信じているからこういう行動を取るわけだし、それに違和感を感じて自由を得たいのであればマクマーフィー以外は自由に退院出来るのです。
でもその違和感すら感じないように管理されてしまっている。その意識に一石を投じるのがマクマーフィーの存在なわけです。
精神患者に対する考え方や扱いは昔はひどいものだったっていうのを本などで読むのですが、今でもやはり偏見などはある気がします。
実際に病院にいて思った事は、あれは治療というよりも休息する場所を提供している感じです。お医者さんは個別の患者の話なんてほとんど聞く時間はありませんし、看護師さんも同様に話は聞いてくれません。
やっている事は毎日決まった時間に薬を配給され、毎日決まった時間に他の患者さんとコミュニケーションを取らされ、毎日決まったを時間に眠る。つまりは生活のリズムをつけることで安定した精神を手に入れるという活動だったと思います。まぁ、僕の場合の事しか知らないのですが。
看護師さんは僕らを子供扱いしましたし、お前らには判断する能力がないんだろ?って言われてしまえばおしまいです。
この映画の中でもチェズウィックが子供扱いするな!と騒ぎ立てる所がありますが、あれを観てみんなはどう思うのだろう。
(みんなというのは健常者の事を言いたいのですが、僕はどうも健常者だとか障害者、病者の区別をつけるのが好きではありません。みんなどこかで疾患はあるでしょう?ドグラ・マグラでも書いてありましたが。)
…と、そんなぼやきはさておき、あの騒ぎ立てる姿を観て「いやいや、管理されなければ際限なく摂取するだろ?だから管理してあげてるんじゃないか!」と思う人もいるでしょう。
精神疾患を患っている人は判断能力が著しく低下し、その場合は本人の意志とは関係なく周りが判断する必要がある。
そんな意識を持っている人は少なくないのではないでしょうか。僕からしてみればみんながみんなそうじゃないのに一緒くたにするなって感じなのです。
現在でも精神科への病院の入院システムがそうです。本人の同意がなくても医者と親族の同意があれば強制入院させる事が出来ます。本人には判断能力がないとしてしまえば、いくらでも箱に閉じ込める事が出来てしまう。
僕自身、大量の看護師たちに囲まれて体を抑えられた時は、あぁ自分の人生終わったなって思いました。誰も話を聞いてくれない。僕の言葉は信用に値しないと判断されてる。
統合失調症の幻聴により、僕は一時的にパニックになり、本来いなければならない所から飛び出し、外を徘徊していました。それがたまたま線路沿いだったので、自分で自分の命を絶とうとしていたと判断されました。
保護された時、僕はこの映画に出てきたビリーのようにしゃべる言葉にどもりが混じっているので、上手く自分の状況を相手に説明することが出来ませんでした。
んで、最終的には他にも患者がいるんだから、あんただけに時間取ってらんないんだよ!と医者に一括されておしまい。
まぁ、そうなんでしょう。一人一人の尊厳なんて構っていたら時間が足りない。
さらには他人と一緒に生活する上で外の世界で人と関わって生きるのが難しい人たちの集まりなわけですから、ちょっと極端に見えるルールも必要なのかもしれません。
ただそれを権力と勘違いして、この映画のようにあそこまで患者さんの意志を無下に扱い、管理するとなるとやはりそれはそれで問題だと僕は感じるわけで。
実際に僕が関わった人の中にも極端な2人ほどいました。患者さんを完全に馬鹿にした人が。僕はそういうのが許せないもので、それに対して行政に訴えました。
でもやはりその人たちは自分が何に対して非難を食らったのかを理解していませんでした。自分は正しい事をしていると思っているからです。
んで、なんだったらやはり僕は悪者なのです。精神異常者なのです。本来いるべき場所を飛び出した時点で負けなのです。
僕はその時に、人の中に存在する常識を動かしたり変えたりするのは難しい事なのだと思いました。
今でも年配の方と話をした時に、ギョッとするような差別用語を平気で使ったりする人もいますが、それはその時代を生きた人にとってそれが常識だったから。
そんな風にして、その当時は平然と行われていた事というのは沢山あります。今となっては問題視される事も平然とまかり通っていたのです。
でもやはり喉元過ぎれば熱さを忘れるというように、そんな時代があった事、そしてそれを問題視して戦ってきた人がいるから改善された今があるという事を現在生きる人達が知るのは難しい。
それは昔の人がそうだったように、今現在の常識がそこにあって当然だと思ってしまうものだからです。
あぁ。何が言いたいのかわからなくなってきたな。常識や普遍性と戦わねばならないのか?っていうとなんか違う気もするし、今に感謝して生きろって落ち着くのも違う気がする。
とにかく僕はこの映画を観て、感動して涙を流すというよりも、感情が揺さぶられて気がついたら涙が出ていたという感じでした。悔し涙に近い感じがします。
人と関わっていくのは難しいですね。ロボトミー手術の生みの親であるエガス・モニスもそもそもは脳腫瘍の研究をしていたわけで、人の幸せのための研究でしたが、最終的には人から恨まれてしまうわけですし。
この映画に出てくる病院の人たちも決して人を不幸に追いやってやろうという意識ではなく、病気を治して欲しいと願っているわけで。
あ。ちなみにロボトミーってのはロボットとは全く関係ありません。roboではなくlobe(葉)とtomy(ナイフ)で前頭葉切除のロボトミーです。
日本でも行われていた手術なんですよね。あぁ。僕もその時代に生きていたとしたらロボトミー手術をされていたのかもしれないと思うとぞっとします。
マクマーフィーのように感情の高ぶりで暴れたりしていましたので。
あと、この映画の中に電気けいれん療法がおしおきとして描かれていますが、今もあの治療は存在しています。この映画のように本人の意志に反してではなく、ちゃんとインフォームド・コンセントを得た上でですが。
ただやはりこの方法についても廃止を訴える人がいます。この方法を考え出した本人が廃止を訴えているというところも非常に興味深い所。
それだけ精神疾患に対する治療法や人権問題はまだまだ発展途上なのでしょう。
僕は今では病院に行くことを辞めてしまいましたが、病院に通い続けている人で、もう15年ほど薬による治療を続けていても改善にいたらない人も知っています。
いろいろと好き勝手書きましたが、どんな方法がいいのかは僕にはわかりません。今の方法も正しいのかわかりません。でも何でも良いから少しでも精神疾患で苦しむ人が改善に向かえばいいなと思います。
それをこの映画を観て感じました。ちょこちょこ精神異常を装う人たちが出てくるのが個人的には、うーむ…って思いましたが、ま、映画だから仕方がない。
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レビューまとめ
昔観たときは、なんとも感想が難しい映画だなぁっていう漠然とした感想でした。泣ける!すげー名作!っていう評価が多かったのであまりにハードルをあげすぎたのかもしれません。
なんか観た後のやるせなさが勝ってしまって結構辛口レビューを書いた覚えがあります。
今あらためて観てみると、随時に心を揺さぶってくるものがあります。ジャック・ニコルソンの存在感とルイーズ・フレッチャーの顔と。その周りにいるキャストのみんなと。
第48回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞と主要5部門を独占したと書いてありましたが、納得の出来だと思います。
うん。これが演技だとは思えない。リアルにドキュメンタリー番組のような気もしてくる。いやはや随所でありえない事は起きているし、出来すぎなぐらいのストーリー展開もあるんですがね。
ま、何が言いたいかって言えば今も精神病院ってこんな感じだよってことでした。現実と違うのはマクマーフィーがいない事でしょうか。
個人の自由と社会の管理。相反するものを同時に行う事は難しい。そんな事を訴えている映画なのかなと思います。自由を尊重しすぎるとそれは無秩序を生むことになり、管理を重視しすぎると人間としての尊厳を失う。
精神病院の出来事を扱った映画ですが、それだけに終わらず全般的に言える事なのかもしれません。この映画のタイトル『カッコーの巣の上で』のカッコーの巣というのは精神病院の蔑称のようですので、それを上から眺めた時に何を感じるのか。
監督も『この映画を通して伝えたかった事は精神病院の恐怖でも体制批判でもない』と言っているようですし。
あ。それと確かカッコーって他人の巣に自分の子供の卵を入れる習性があった気が。となるとマクマーフィーはその卵ってことになるのか。よくよく考えられたタイトルだなぁ。
ちなみに原作の『カッコーの巣の上で』と『ライ麦畑でつかまえて』と『キャッチ=22』は当時の若者達の3大バイブルだったそうです。
本も読んでみたいなぁ。ではでは『カッコーの巣の上で』でした。
カッコーの巣の上で - 感想・評価
公開日:1975年11月19日
ジャンル:ヒューマンドラマ映画
監督:ミロス・フォアマン
出演:ジャック・ニコルソン, ルイーズ・フレッチャー, マイケル・ベリーマン
カッコーの巣の上で
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ストーリー - 72%
72%
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キャラクター - 96%
96%
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演出 - 86%
86%
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映像 - 77%
77%
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音楽 - 81%
81%
映画レビューまとめ
ストーリーはラスト以外ある意味淡々としているので好き嫌いが別れるかもしれません。ただ、キャラクターの強烈さは誰がみても圧巻でしょう。すべての登場人物が存在感を放っていて、その中で主演のジャック・ニコルソンとルイーズ・フレッチャーは格別です。後味は少し悪いですが演出も凝ったもの。音楽により心救われるシーンがいくつかありますのでこんな感じの点になりました。