- 公開:2008/10/24
- 監督:トーマス・アルフレッドソン
- 出演者:カーレ・ヘーデブラント
- 製作国:スウェーデン
- 上映時間:1時間55分
ぼくのエリ 200歳の少女という映画をご存じでしょうか?スウェーデンの映画で、トーマス・アルフレッドソン監督が2008年に発表した作品なのですが、日本の基準では物語が捻じ曲げられてしまっているのです。ボカシのせいで。
もう少し詳しく言えば、ポルノではないけれど日本の映倫の基準では放映出来ない物語ということになります。スウェーデンではボカシがないのです。
恐らく日本で映画を観ただけでは「あー、吸血鬼を扱ったちょっとエッチなホラー映画ね」で終わるでしょう。しかし、実は観終わった後にネットなどで調べることで初めてこの映画の意味を理解し、物語が描いていた内容を理解出来る映画なのです。
邦題の付け方に悪意さえ感じられるミスリードを誘う作品。今日はネタバレ満載で書くので、まだこの作品を観たことがない場合はそれをご理解の上、読んでください。ぜひ一度映画を観てからこれから先を読むことをお勧めします。
ということで映画『ぼくのエリ 200歳の少女』をレビューしていきます。
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映画『ぼくのエリ 200歳の少女』 – ストーリー
公開日:2008年10月24日
ジャンル:犯罪映画, ヒューマンドラマ映画, ファンタジー映画
監督:トーマス・アルフレッドソン
出演:カーレ・ヘーデブラント, リーナ・レアンデション, ペール・ラグナル
ネタバレ注意『ぼくのエリ 200歳の少女』のあらすじまとめ
スウェーデンの首都、ストックホルム。その郊外に離婚をした母と一緒に暮らす主人公オスカー。彼は内向的な性格で同級生からいじめを受けている。ある日そんな彼の家の隣に少女とおじいさんが引っ越してきた。
夜。オスカーは部屋を抜け出し、ナイフを木に刺していじめに対するうっぷんを晴らしていると、そのシーンを少女に見られる。
「悪いけど友達にはなれない」
そう少女は言う。
「君が友達になりたそうな顔をしていたから」
そう言い残し彼女は家に戻る。
「僕、そんな顔していた?」と一人呟くオスカー。
その後、オスカーは相変わらずいじめを受ける日々。鞭で顔に傷つけられた。母にはそのことは話せないでいる。
「孤独が嫌い」と少女に出会った場所に何度も立ち寄り、少女エリと徐々に親しくなったオスカーは、学校でモールス信号の本を書き写しそれをエリに教える。エリはオスカーの顔の傷を見つけ、事情を聴くと「やり返して」と告げる。「相手は3人なんだ」とオスカー。「私も手伝うから」とエリ。
隣の家同士で壁伝いにモールス信号でやり取りをしながら関係を深める。ある夜、二人でデートをし、オスカーがあげたキャンディーを食べて吐いてしまったエリ。そんなエリをみてオスカーは彼女を抱きしめる。
「もし、私が女の子じゃなくても好きだと思う?」エリはオスカーに抱きしめられながらそう尋ねる。
「だと思うよ。なぜそんなこと聞くの?」
…一方、街では失踪事件や変死体が発見される事件が多発していた。それはヴァンパイアであるエリに人間の血を食事として与える為に一緒に住んでいるおじいさんがやっていた事だった。
おじいさんは小さなエリの為にやれることは何でもやっていた。しかし、いよいよ失敗をしてしまう。おじいさんは捕まる前に一緒に住むエリの身元がばれないように薬品を顔にかけ自分の存在を消した。
おじいさんを失い孤独になってしまったエリ。さらに深くオスカーと関わるようになり、二人は付き合うようになる。勇気をもらったオスカーは、いじめられていたリーダーの男の子を棒で殴り、耳を負傷させ仕返しをする。
母親の嘆く声を聴き、家での居場所がなくなったオスカー。さらにエリへの依存が強くなる。仕返しをしたことをエリに報告し、オスカーは持っていたナイフで手のひらを傷つけ、「二人の血を合わせよう、血の誓いだ」と手のひらをエリに差し出す。
その滴る血に我慢できなくなったエリは地面に垂れた血をオスカーの前で吸ってしまう。ヴァンパイアという事がばれてしまったエリ。オスカーは一連の事件の犯人がエリのせいだとわかると困惑する。
離婚した父親の元に遊びに行ったが、アルコール中毒の父の元には居場所がなかった。エリの元に戻り事情を聞くオスカー。その話を聞いても人を殺しているヴァンパイアだという事実はオスカーには上手く受け止めることが出来なかった。エリに冷たく当たってしまう。
後日、オスカーの家を訪ねるエリ。「家に入っていい?」と訪ねるエリ。ヴァンパイアの体質として、相手に入っていいと許可をもらわなければ家に入れないのだ。オスカーはいまだにエリがヴァンパイアかどうかを信じられずにいる。壁なんかないよと茶化しながら顎で家に入れと指示し、家に入っていいとは答えなかった。
意地悪をするオスカーにエリは仕方なく部屋へ入る。家に入るなり、体中から血が噴き出す。その姿を見て、焦ったオスカーは急いで「家に入っていいよ」と言い、エリを抱きしめる。
「君は何者なの?」という問いに「私はあなたと一緒なのよ」と答えるエリ。ナイフで木を切りつけていたシーンの事を話し、相手を殺してでも生き残りたい。それが生きるって事なの、と。理解して。私の事を少しでいいから受け入れてと。
オスカーはその話で納得し、エリのことを受け入れることにした。とりあえず、血だらけの服を着替えてもらおうと母の服を渡す。
隣の部屋で着替えているエリを何気なくのぞいてしまうオスカー。エリの何もつけていない股間の部分を見て、ドキッとする。服を着替え終わったエリ。そこへ急に帰ってきた母親の声。オスカーは慌て、母親の言葉に対処し、エリは窓から自分の部屋へ戻る。
それからオスカーは夜中に母親が寝たのを確認するとエリの家へ忍び込み、そこで眠った。
エリが眠っている時、誰かが部屋に入って来た。それは目の前で恋人をエリに襲われた男だった。男は復讐をするべくエリの家を探し当て殺そうとしに来たのである。
オスカーの助けを得て、なんとか一命を取り留めたエリはオスカーに「もうここにはいられない」と告げる。エリはオスカーに口づけをし、姿を消した。
悲しみに浸るオスカー。そんな彼の元に電話がかかってくる。同級生からだ。仕返しをし終わった後、リーダーに命令されてイヤイヤいじめていた同級生と仲良くなったのだが、一緒に参加していた水泳トレーニングに顔を出さないかという誘いだった。
オスカーは誘いを受け、トレーニングセンターへ向かう。コーチと一緒にアクアビクスを行うオスカー。そこへ電話で誘ってきた同級生はコーチに外が火事になっていると耳打ちをする。それは耳をやられたいじめっ子の兄が考えた計画の一部だった。オスカーをいじめていた3人と兄の4人でオスカーに仕返しをしに来たのだ。
プールにいるオスカーにいじめっ子の兄はナイフを持ちながら3分潜れと指示する。成功したら弟にしたことはチャラにしてやる。失敗したらナイフで目玉をくりぬくと脅す。
髪の毛をつかみ無理やり水に潜らせる兄。そろそろ洒落にならない時間になって弟と電話で呼び出した同級生がもういいと言ってもうるさいと言ってやめない。
そこへエリが登場し、3人を惨殺してオスカーを助ける。エリは約束を守ったのだ。
オスカーは陽の当たらないようにエリを箱に詰め、列車で知らない土地へ逃避行する。時々、箱を叩いてモールス信号でやり取りしながら…
以上があらすじです…。
『ぼくのエリ 200歳の少女』のおすすめポイント
おすすめは一旦置いておいて、↑のあらすじだけ読むとボーイミーツガールの恋愛ものに聞こえるでしょ?
恐らく、結構忠実に映画をあらすじに出来たと思います。日本で観ることが出来る「ぼくのエリ 200歳の少女」から読み取れる内容はこんな感じになるはずです。
どっからどう見ても男の子と女の子の恋愛ものだし、エリが「もし、私が女の子じゃなくても好きだと思う?」という問いは「もし、私がヴァンパンアでも好きだと思う?」っていう事だったのか!っていう感じに受け取れます。
種族を越えたラブストーリーものなわけです。
「ぼくのエリ 200歳の少女」というタイトルは200年間も生きた12歳にしか見えない女の子に恋をしたオリバーの物語を端的に表した的確なタイトルのように見えます。
しかし、映画を観終わった後に検索して無修正映画の存在を知ると一気に物語の解釈が変わる
そうなんです。今、話をした解釈、“全部間違い”です。
これ、男の子が女の子のヴァンパイアに恋をするっていう話じゃないんです。ポイントは一点だけ。日本の映倫によってボカシがかかったエリの股間の部分です。
ボカシが入っていると服を着替えているエリの股間のぞいたオリバーが男の子の恥ずかしさからドキッとしたように思えますが、スウェーデンで放送された無修正版や、この映画の原作ではあの時、エリの股間には男性器を去勢された傷跡が描かれているんです。
つまり、エリは男です。
オスカーはエリがヴァンパイアというだけではなく、男だったという事実も受け入れて二人で逃避行するんです。それはもう異性ゆえに落ちた恋ではない、もっとデカいスケールの物語だったはずなんですよ!二人は孤独を嫌い、お互いを求めたっていう。
な・の・に!
この映画、どう観たって日本の映画界によってボーイミーツガールな恋愛ものに改ざんされているっしょ!極めつけにタイトルまで「少女」とか付けちゃって、エリが男性だってこと全くなかったことにされてる。完全に!
前々から、映画のタイトルをわざわざ邦題に直すことに疑問を感じていたのだけれど、ここまで悪徳な邦題はみたことがない。
別にいいじゃないか。ホモセクシャルな内容を扱ったって。この作品は恋というのは性を越えたもっと大きな所に惹かれて起きる現象なんだっていう映画なのに。
まぁ、しかし、こうなったのにも言語の問題も少なからずあって、日本語の1人称には男性女性の使い分けがある。「ボク、オレ」と言えばほとんどの場合、それは男だなって連想するし、「ワタシ、アタシ」って言えば女性を連想する。
一方、スウェーデン語を習った事がないので英語で代用してしまうが、「I am a 〇〇」と言っても「I」が男性か女性かは連想されない。恐らくスウェーデン語もそうなんだろう。そこで、吹き替えにしろ、字幕にしろエリがしゃべる言葉は「女性的なワタシ」を使わざる負えなくなり、結果、タイトルも「少女」という単語を使ったのかもしれない。
…でもなぁ。元々のタイトル「Låt den rätte komma in」なんだよな。意味は「正しい者を招き入れよ」っていう、映画中のヴァンパイアは中に入っていいよと言われなければ中に入れないっていうやつの故事のようなもの。これをどうやって訳したら200歳の少女になるんだよ。
…くそう。このタイトルとあのボカシのせいで完全に解釈が固定されてしまう。
この作品はモールス信号でなんて語っていたのかなぁとか、列車に揺られながらなんて思っているんだろうとか色々と想像が広がるいい作品なのです。映画を観終わった後に、その後を視聴者の頭が補って完成するって言う名作にはなくてはならない要素。それはまさに夏目漱石の「心」が先生の元にたどり着く前の列車のシーンで終わったの如くです。
つまりは、この映画、かなりな名作です。調べれば調べる程この映画のファンになりました。奥が深いんです!サブカルチャー万歳!
まとめ。まず映画を観る。そして調べる。
この映画を観た後は必ず調べてください。この映画が何を取り扱ったものだったのか。単なる異色な恋愛ものだったと片付けないでください。
さりげなく、オスカーとエリが言った「孤独が嫌い」という言葉。その言葉が二人を結びつけていると僕は思っています。性を越え、種族を越え。
誕生日を知らないエリ。父と母との問題に悩むオスカー(どうやら調べてみると、父親はアルコール依存というよりも同性愛者だったのかもしれません。真相はわからないですが)。その二人が孤独を和らげる為にお互いを愛するんです。
そういう壮大な愛がこの物語には流れているんですよ。
ちょっとエログロで観る人選ぶかもしれませんが、観たことない人はぜひスルメイカのようにこの作品を何度も楽しんでくださいませ。見れば見る程面白い映画です。
ではでは。『ぼくのエリ 200歳の少女』でした。
あ、ハリウッドがこの映画をリメイクしたモールスという映画があるみたいなので、機会が観てみようと思います。ハリウッドのリメイクって聞くとあんまりいいイメージはわかないですけどね…。是非、端的なラブストーリーにならない事を祈ってます。
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ぼくのエリ 200歳の少女 - 感想・評価
公開日:2008年10月24日
ジャンル:犯罪映画, ヒューマンドラマ映画, ファンタジー映画
監督:トーマス・アルフレッドソン
出演:カーレ・ヘーデブラント, リーナ・レアンデション, ペール・ラグナル