それでもボクはやってないを観たことがあるでしょうか?Shall we ダンス?で有名な周防正行監督の映画です。
周防正行が長年かけて調査し、どうしても作りたかったという社会派の映画。
ぶっちゃけ、痴漢冤罪についての映画なのですが、観ている間中ずっと心の中でふつふつとしたなにかが込み上げていました。
男性としては誰もが降りかかってくる可能性がある話で、観終わった後もなんだか心がすっきりしない。
なんと、これは実話をもとにした映画だと言うのです。実際、こんな目にあったらどうしようか。そればかりが頭をよぎる。
ということで、映画『それでもボクはやってない』のレビューをしていきたいと思います。
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映画『それでもボクはやってない』 – あらすじ
映画『それでもボクはやってない』について
『それでもボクはやってない』を観終えた現在、満員電車で痴漢に間違われるという事は自分としてはまだ経験のないことだが、これを観るまでは、
「まぁ、間違われてもなんとかわかってもらえるんだろう」
ぐらいに考えていました。
もちろん、これは映画であって、作品であるから、誇張されてはいるでしょう。ステレオタイプな方が作品として映えるし、観ていてわかりやすいこともある。
検察官や裁判官に自分の事を言っても信じてもらえない、国家権力が働いて簡単には無罪に出来ない的な。
そしてにしても。実際に僕が痴漢に間違われて、本当はやっていないのに、この映画の数パーセントでも現実の世界で目の当りにしてしまったら。
何を言っても信じてもらえない。やっていないのに実刑判決をくだされる。
そんな事が起こったら。
どうしよう。ずっとそればかり考えてしまうのです。
痴漢は犯罪です。犯罪は罰すべきです。それはわかってます。
でも、犯罪を犯していないのに、犯罪者と世間に思われるような報道をするメディアとか、冤罪判決をしてしまう事は「犯罪」ではないのでしょうか?
人を傷つけているのに。
ええ。犯罪ではないのです。
なぜ?
法に定められていないからです。
犯罪は法律を違反する事。法律に違反していなければ犯罪ではない。脱法ハーブとか。体にいい影響を与えなくても法律で定められていない事は犯罪じゃないのです。
そういう感じ。
僕はずっと、「法律は僕らを守ってくれるもの」だと思っていました。僕らを傷つけるものから守ってくれるものであると。
でも、この映画のようなものが法律によって引き起こされていたのであれば、それは勘違いだったと言わざるを得ません。
法律はあくまでも僕らを規制するものでしかないのかもしれません。
この範囲内で生きていきなさいと。
もう何もかもわからなくなりました。
「法律を守る人間=正しい人間」ではないのです。
信じられるのは自分の道徳心です。人に迷惑をかけてはいけない。ただそれだけです。
痴漢は犯罪だからやってはいけないのではない。痴漢は被害者の女性を傷つけるからやってはいけないのではない。
痴漢をすることによって、痴漢に間違われる人が出る事、被害者の女性を傷つける事、その他もろもろ、痴漢というものが存在することによって発生する人々の思考回路のあれこれによって、「多くの人が迷惑になるから」やってはいけないのです。
法律で定められていない事でも、「多くの人に迷惑になる」ことはやってはいけないのです。
だから僕は痴漢を憎みます。
…なんというか、そういう事を考えました。
映画『それでもボクはやってない』 – まとめ
この映画レビューは、基準が「ストーリー」「キャラクター」「演出」「映像」「音楽」っていうものさしだけで採点しているので、あんまり点数は高くつけられませんでした。
ただ、実際、加瀬亮の演技とかに涙したし、役所広司が怒鳴る所に迫真の演技を感じました。
なので、点数では表せないぐらい評価したい作品です。
今は、裁判員裁判制度が出てきたので、この映画のような状況が少しは緩和しているとは思いますが、それでも実際、自分に起きたらどうしようと今でも考えてしまっています。
僕の「世の中にある作品が良い物であるかどうか」の基準は心が動かされるかどうかです。そういう意味で僕はこの作品は素晴らしい作品なのかなぁと思います。メッセージ性強かった。
まぁ、賛否両論な作品だと思うけども。
映画『それでもボクはやってない』 – 蛇足
あ、それともうひとつ。
男女平等。
とかいいつつ、男尊女卑は存在するし、それの逆で男性は悪くて女性は良いみたいな風潮が若干あると思います。つまりは男女平等の世の中では全くないです。男女平等は女性だけの特権の言葉ではないです。
男性にもあるのです。絶対。結局、男性と女性は全く同じ生き物ではないのだから、同じ価値基準で判断するの辞めてくれって感じです。
男女平等をうたっている人がある部分でレディーファーストとか言ってたりね。男女平等をうたうのであれば、トイレも一緒。お風呂も一緒。男性が育児することに特別視する必要ないし、女性が社長だからと言って取り上げる必要もない。
男女平等は都合のいい言葉じゃないんだ。完璧な男女平等、男女同じだったらなんと生きにくい世の中だ。だから、「男女平等」とか言葉変えてほしい。男女平等教撤廃。
つまりは男性には男性の悩みがあるし、女性には女性の悩みがあるし、大切なのは同じものとして扱おうとする姿勢ではなく、お互いを理解することなのでは。
もう別のものなんだと認めちゃえばいいのに。別のものとして、尊重していこう。
男性の国の住人がいて女性の国の住人がいてその他の国の住人がいて、みんな相手を理解して、引くところは引いて、主張することは主張する。持ちつ持たれつがいいんじゃないかな。
そういう点で、痴漢は女性の敵だけなのではなく、男性の敵でもあるのだよと。痴漢と聞くと「男性って最低」みたいな考えはなんとかならんのかと。
もう言いたいことが多すぎてまとまりがなくなってきたので終わります。こういう事を考えさせてくれた作品に感謝です。僕は結構好きですよこの映画。
ではでは。『それでもボクはやってない』のレビューでした。
…ちなみに、2002年に高等裁判所で逆転無罪判決になった西武新宿線第1事件で周防正行監督は痴漢冤罪に興味を持ち始めたらしいのです。
よく、それが勘違いされて、実話では高等裁判所で逆転無罪になったよって書かれていることがあるのですが、この映画のモデルとなった人は複数いて、2005年に起訴された男性は最高裁までいきましたが2008年に実刑判決になりました。
まぁ、つまりは映画ラストで控訴した後の結末はどっちかわからないってことです…。